決意会では、俺(なおき)の受験時代の経験を語りました。

気持ちが上手く乗らないときはこの話を読み返して、決意会の先生たちの言葉を思い出してほしい。

この逆転劇は誰にでも起こる。

高校3年生の3月16日。

俺は第一志望大学の試験に全て落ちた。

当時の第一志望は東洋大学と獨協大学だった。

それまでの18年間は大体のことを上手くこなしてきたし、幼稚園からずっとやってきたサッカーにも大きな後悔は無かった。

そんな俺が経験した、

人生最初で最大の挫折が大学受験だった。

最後の合格発表の不合格という文字を見た瞬間、

自分の将来が急に真っ暗になった気がした。

第一志望の大学に入ってやりたいことなんて山ほどあったし、正直受験勉強なんて早く辞めてしまいたかった。

でも、大学受験を終えて残ったのは第四志望の合格のみ。

もちろん納得のいく結果では無かった。

死ぬほど悔しかったし、後悔してもしきれなかった。

振り込み締め切りがもう数日後に迫っていた。

第一志望の発表が終わって数日間は夜も眠れない程に将来や大学のことについて考え、葛藤した。

それでも自分の心をごまかすことは出来なかった。

俺は第四志望の大学には入学せずに、

浪人することを決意した。

当時の本気になりきれていない自分をそばで見てきた先生達には浪人することを猛反対されたが、

母だけは「自分が本気でやってみたいならやってみな」と金銭的な余裕はないにも関わらず、

信じて浪人にチャレンジさせてくれた。

母は俺が小学5年生の時に離婚し、

女手一つで俺と弟を育ててくれた。

母には幼い頃から本当に迷惑をかけた。

小学校や中学校時代は問題行動で親を呼び出され、

親子で叱られることもあった。

高校時代は朝練に遅刻し、

母が起こしてくれなかったことに腹を立ててそれを態度に出したりもしてしまった。

それでも母親は変わらずサポートし続けてくれていた。

浪人をすると決意するときに初めて過去をしっかりと振り返り、

今まで自分がどれだけ母親に迷惑をかけてきたか、金銭的にも精神的にも厳しいのにサポートしてくれていたのか気づいた。

今度の受験は絶対に失敗できない。

それまでは自分のことしか頭になかったのが、

その瞬間「母親を喜ばせるためにも絶対合格する」という思いに変わった。

人生で初めての大きな挫折経験は大学受験だったが、

人生で初めて多くの反対を押し切るほど何かを決意した経験も大学受験だった。

不合格の原因は明らかだった。

受験に取り組む姿勢、勉強量、正しい勉強法、誘惑を断つ意思など全てが足りなかった。

友達と話しながらゆっくり自習室に来て、

しばらく話してから気が向いたら勉強。

何をすれば良いのか分からないから取り敢えず周りのみんながやってる参考書をやる。

土日は午後1時になってようやく塾へ向かう。

もちろんこんな中途半端な気持ち、姿勢で受かるはずがない。

大学受験は自分が思っているより甘くなかった。

 

浪人を決めた時に第一志望として掲げたのは、早稲田大学だった。

周りの人たちには無謀だと言われたし、自分自身でも無謀だとは自覚していた。

浪人決定時、偏差値は50にも満たず40代後半を彷徨っていた。

早稲田大学の偏差値は70。こんなの無謀だ。

でもだからこそ燃えた。

やるからには日本でトップの私大を目指してみたかった。

当時の自分には人生で何か大きなことを成し遂げてみたいという野望があった。

この時から人生で最大の挑戦が始まった。

浪人中は自分でシンプルな二つのルールを厳守した。

1つ目は、一日の決めた勉強量を、正しい勉強法で必ず達成すること。

2つ目は、どんなに難解な問題に出逢おうとも解決するまでは決して諦めないこと。

これらの受験生として当たり前のことを1日も欠けることなく達成している人はどれだけいるだろうか。

自分の胸に手を当てて自分自身に聞いてみて欲しい。

 4月中に使う参考書、勉強法、スケジュールを全て決定した。それから翌年の2月まではとにかく全力で走り続けた。

正直1日の勉強時間なんて殆ど覚えていない。

とにかく、毎日決めた量を死ぬ気で終わらせる日々を受験最終日まで続けた。

不安と孤独感で寝付けなかったり、

1時間おきに目覚めてしまうような日が続いたこともあった。

過去問の点数を目の当たりにして勉強を辞めてしまいたくなるような日もあった。

独学だったので誰にも相談出来ず、

過去問対策やペース管理をやらなければいけないのはとても心細かった。

苦しい経験を語り始めたらキリがないほど、もがいた一年だった。

それでも毎日必ず、自分で決めた勉強量はこなした。

2月になると、浪人生活が始まった4月には遥か遠くに思えていた早稲田合格が、本格的に射程圏内に入っていた。

そして迎えた入試本番。

電車の中ではひたすら日本史の参考書と睨めっこしていた。

早稲田大学の校門に向かっていくライバルはみんな賢く見えた。

でも、今まで本気でやり抜いてきた自信はあったし、戦う覚悟はできていた。

試験直前まで諦めずに日本史を復習していた結果、運にも恵まれ、普段では正解できないような問題を解くことができた。

本番は自分の力を出し切って、後悔なく浪人生活を終えることができた。

3月1日。いよいよ合格発表の日。

第二志望には合格していたこともあり、早稲田大学の商学部の合格発表日は友達とカラオケにいた。

発表時刻が気になってしまい正直歌どころではなかった。

合格は音声での発表だった。

時刻になってすぐ、部屋からそっと外に出て、合格発表用の電話番号に電話をかけ、自分の受験番号を打ち込んだ。

受験番号は15301。 今でもよく覚えている。

「あなたの受験番号は15301ですね?」 

「はいの方は1を。いいえの方は2を押してください。」

「1」

「…..合格おめでとうございます。」

 えっ。正直自分でも何が起きているか分からなかった。

喜びよりも先に疑いが勝ったのを覚えている。

5回は発表を聞き直したし、早稲田大学HPの合格者の受験番号掲示板でも何度も確認した。

でもやっぱり受かってる! 

そこで溢れそうな涙をこらえながら真っ先に母親に電話をした。

「合格したよ!」「早稲田受かった!」

すると母親は「本当に!?おめでとう!本当にすごいね。本当によくがんばったね。」と潤んだ声で答えてくれた。

その言葉に全てが詰まっていた。

1年間頑張ってよかったと心から思った瞬間だった。

それからカラオケルームに戻ってすぐに友達にも報告すると、飛び上がって一緒に喜んでくれた。

3月1日は、人生で最高の日になった。

ようやく長いようで短かった受験生活が成功で幕を閉じた。

今、合格最低点に全く届いていない、思ったように学力が上がらないことで諦めかけてしまっている人がこの中にもいるかもしれない。

でも、俺は受験当日まで時間内に合格最低点を出せたことは一度もなかった。

それでも当日に合格点を取ることだけを考えて受験当日まで、自分に必要なことをやり続けた。

その結果、合格を掴み取ることができた。諦めるにはまだ早すぎる。まだやれる。受験当日まで諦めるな。

今皆んなは、本気で叱ってくれて、一緒に笑い、一緒に悲しみ、一緒にスケジュールを立てて、背中を押してくれる先生たちがいる。

いつでも気にかけてくれて、毎日美味しいご飯を作ってくれて、塾に通わせてくれるおうちの人がいる。

こんな恵まれた環境であと数ヶ月本気で頑張れない人がこの先社会人としての約50年間で何かに本気で取り組み、成功できるだろうか。

大学生になると、叱られることや何かを全力でサポートしてもらえることは少なくなる。

こんな環境で自分を変えたいと思っても、中々大変だ。

これだけのサポートがあって変えれないのなら尚更。

だから、今全力でやろう。今自分を変えよう。

受験までのたった数ヶ月くらい他の全ての誘惑を断ち切って、勉強だけに時間をそそいでみてほしい。必ず見える世界が変わるから。

俺は受験に本気で取り組んで良かったと心から思う。

今の自分の人格の根っこにあるのは受験の経験だと思ってる。

じゃあ何がそんなに変わるのか?

たかが受験を本気で取り組んだぐらいで人生が変わるなんて言い過ぎじゃないのか。

と思うかもしれない。

この感覚は受験に本気で取り組んだ人しかわからない。

この答えが知りたい人はまず夏休み、死ぬ気で勉強しろ。

そしてそれを入試本番まで続けてほしい。

必ず何か変わるはず。

行動は今日から変えられる。

俺らは全力で応援するし、サポートする。

最後まで一緒に走り抜けよう。